Menuへ戻る

 若い者が集まれば酒の上の話が必ず出てくると思うが、このメンバーは音楽活動よりも宴会活動の方がものすごいパワーを持っていた。

 何かあると打ち上げパーティと称しては集まり、酒を酌み交わしていた。そして飲むと新しい遊びを考えては実行している。いまでいうコンパゲームの元祖である。
 巨人・阪神という漫才師が、胸に手を当てて鳩の鳴き声を物まねて「鳩むね」、肩に手を当てて「なにすんのや、こらー」と怒って見せて「怒り肩」などというネタをしていたが、これは風林火山の方が早くから宴会で披露してる。こんなものに著作権があるとすれば、我々の方に権利があるはずである。

Date 1979年頃 Date 1979年4月9日
Loc: 夙川近郊 Loc:夙川の土手
当時の筆者の下宿。
オンボロ夙北苑21号室
お花見宴会。ごきげんな皆さん。
   


 宴会は西宮北口にあったマルコポーロ、武庫之荘の軒端、夙川のバートン、三宮のマーメイド、そして筆者や〝のんぺ〟の下宿がおもな会場となっていた。
 最初のころは、せいぜい騒ぐ程度に収まっていたが徐々にエスカレートし、ある日マルコポーロで宴会をしている時に目に余る行動をとった。
 隣の席のパーティが終わって客が帰った後に、テーブルの上に残されたおかずを店員が引き上げる前に、メンバーがよってたかって奪って来てしまったのだ。まるで動物園の猿山に餌をまいたようである。他の客はこの光景を見て驚いたに違いない。さらに、駅前の通行人が行き来する公園で漫才を披露したり、近所の喫茶店(喫茶スワン)で演劇のまねごとをすることもあった。
 現在そこそこ地位のあるメンバーもいるので、ここで一応弁解しておくが、このような行動の裏には、音楽を人前で演奏をするために『あがらない』習慣をつけようと、わざと世間の目を見ないように訓練をしていたのである。
くどいようだが、あくまでも訓練である。


 宴会は呑み屋だけで止まらず、狂化(強化)合宿と理由付けて京都府の沿岸にある琴引き浜へキャンプに出かけている。
 昼夜を問わず浜辺ではギターとドラムやパーカッションを持って乱キチの大騒ぎをし、周りのキャンパー達に迷惑を掛けていた。
 さらに、なぜか真剣にギャグ映画の作成もしている。

Date:1979年8月14日~18日 Loc: 京都府琴引き浜
「さぁ。今日も始めんでぇ!」
宴会は昼夜関係無く繰り返された。
さすがは狂化合宿である
ひとり、埋められるぺにさん。
水が満ちてきたら死ぬでほんま。
   


 その後、連中はそのまま鳥取砂丘まで移動して、天下の国立公園である砂丘で、ひと晩ザコ寝をするわ、移動中の商店街で落語のお囃子(おはやし)をクルマに取り付けてある外部スピーカーで鳴らしながら走り抜けたり、またったく大迷惑である。

Date:1979年8月14日~18日 Title: 映画も撮りました
映画の撮影風景。これでも真剣です。 これは映画撮影のために、このような
カッコをしているのです。お間違えの
ないようにお願いします。
ひとり出番を待つ女性。
過去に影を持つ女の人。
・・・実は男です。
騙されそうですな。
     


 残念なことに、このとき撮影された映画のフイルムは阪神大震災で紛失してしまっている。
惜しいことをしてしまったような、少しホッとしているような複雑な心境である。

どちらにしても、とんでもない映画になっていることには間違いない。このまま見つかりませんように・・・。

Date:1979年12月14日~18日 Title: 夏季狂化合宿
ガ、ガラ悪。でも本当は
おもしろい人たちです。
恐がらないでください。
ハリマ王の役がお気に入りの
山ちゃん。
   









 もっともひどかったのは、摩耶山頂の摩耶ロッジという国民宿舎で一泊二日の新年会を行なったときである。
 夜中まで二台のギターで歌いまくり、メンバー全員で裸になり大喜利を始めたり、女装をしてラインダンスを披露するなど、本当に狂乱の騒ぎである。
 あまりの大騒ぎで他の宿泊客の大ひんしゅくを買ってしまった。

Date:1980年1月19日~20日 Loc: 摩耶ロッジ
準備の段階からこのありさま。
そら、怒られるわな。
宴会ソングはカラオケではあり
ません。常に生バンドです。
上から降りているのは録音マイ
クです。当然録音されています。
   

 今後この宿舎では〝風林火山〟と言う名のグループは二度と泊まれないであろう。
 〝風林火山〟という名前を汚してしまったことを心からお詫び申し上げます。ごめんなさい。

Date:1980年1月19日~20日 Title: 冬季狂化合宿
即興ヒゲダンスを
踊る山ちゃん。
摩耶ロッジの皆さんごめんなさい。
全部こいつらが悪いんです。
同じ日に宿泊の皆さんすみませんでした。
   








 しかし、こんなことでは懲りない連中は、その年の夏、1980年8月14日~18日。遠く群馬県の軽井沢にまで遠征。
 テニス合宿と呼んでいたが、その実態は森の中の無人のロッジを借り、宴会に次ぐ宴会で毎夜大騒ぎを催した。
森の中にあったこのロッジは周りから完全に遮断されており、どんなに騒ごうが世間に迷惑がかかることが無かった。
さすがに、このときのパワーはすごかった。鎖を放された獣のごとく昼夜を問わず暴れまくった。
 この狂乱怒涛の響きは信濃の山々を貫き、しばらくして軽井沢の地形がすこし変わったという噂である。(ウソ)





 ひんしゅくを買うといえば必ず思い出されるのがメンバーの引越し打ち上げ宴会である。風林火山活動期にメンバーの何人かの引越しがあったが、そのたび、その晩に行なわれる打ち上げの宴会がものすごかった。
 メンバーは宴会を始めると必ずギターを弾き出だし、やがて酔いが廻るにつれてコンサート並みの大声で隠語の歌を唄いまくるのだ。

 取り巻き仲間のH氏が引越したその晩にはあまりの騒音と、隠語の叫び声に大家さんが顔色を変えて飛び込んできた。

 そして〝のんぺ〟が引越しをした晩には下の部屋の住民が怒鳴り込んできている。運良く筆者が引っ越したときにはそのような騒動が無かったが、それをいい事に筆者の部屋がメンバーの溜まり場になったのは言うまでもない。

こんな情景でも筆者の録音執念はものすごく、それらすべてを逃さずに録音していた。

 当時、周辺に住んでいた人に迷惑をかけていたことをいまになって筆者は本当に深く反省している。なぜなら、いま住んでいる安アパートの二階の騒音に筆者は毎晩悩んでいるのだ。因果応報である。うるさくてもしかたがない、我慢するしかないであろう。


 この乱キチ騒ぎもCDに収録してあるので聞いてもらいたいが、周りに聞こえないようにヘッドホン着用を義務付けさせてもらう。


Menuへ戻る