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 今となっては風林火山結成の経緯はほとんど忘れられていると思うが、巷でよくある音楽好きの連中が集まって結成された、というようなありきたりの理由ではない。 登場人物についてはこちらを参照
 その昔、某私立高校(〝風〟さんが言うには動物園。妙に納得(笑)。に通う高校生だった〝風〟さん、〝リーダー〟にはM村氏という仲の良い友人がおり、音楽好きな彼らはオリジナルの曲を作ったり好きなアーティストのコピーなどをする日々を送っていた。
 ところが高校卒業後、M村氏は若くして他界してしまった。
 〝風〟さんと〝リーダー〟は親友の死を弔うために好きだった音楽をテープに残そうと同じクラスの〝風〟さんたちのギターの師匠だったI氏を誘い、三人で一回だけの録音会をすることにした。(のちに演奏に使っていたエレキギターが彼の遺品である、ということを筆者に知らされたのは、風林火山解散後から18年経ってからだった。)

Date 1977年12月24日Date 1978年8月頃
Loc: 吉田会館で練習Loc: 某女子大の2階
ミラーグラスが懐かしい。暑い日は裸で練習です。
この後、守衛のおじさんに
「君達!ここは女子大だよ!」と、
思いっきり叱られる。
  

 音楽テープを作るには演奏者だけではなく録音機材を操作する人間も必要になる。そこで、〝風〟さんはアルバイト先の喫茶店(サモアール)で知り合った〝山〟チャンを機械操作ができると言う理由で誘った。
 さらにギターだけではバンドとしてボリュームにかけるため、ベースの弾ける人間が必要だった。
 ちょうどそのころリーダーたちが遊び場にしていたA氏の自宅で、解散したばかりのロックグループでベースを弾いていた〝のんぺ〟と、偶然出会いメンバーへと誘そった。そしてその時〝のんぺ〟の金魚の糞であった筆者(ぺに)が機材を運ぶのに手ごろなクルマを持っていると言う理由でボーヤとして参加。この時点では筆者はまだ正式メンバーではなく、あくまでも荷物の運送を任されているに過ぎなかった。

 1977年12月24日。
 神谷氏をリーダに、ボーカル〝風〟さん、サイドギターI氏、ベース〝のんぺ〟、ミキサー〝山〟チャンの5人をメンバーとする「風林火山」を結成。場所は神戸市西灘区の吉田会館であった。

Date 1977年12月24日
Loc: 吉田会館前
第一次風林火山結成記念。
貴重な一枚です。
 

「風林火山」というネーミングは〝風〟さんが高校時代、別のグループで「風林火山と送り狼」というユニットを組んだときの名前から来ている。


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