赤の他人が集まってグループを結成するのだから何かしらの縁で結ばれていて当然であるが、このメンバーはそれ以外の不思議な力が働いていたように思う。
〝風〟さんが遠く離れた岐阜県大垣市に住んでいた頃の友人と、風林火山が結成される要因となったM村氏が友人だったこと。これがM村氏の葬式の晩に明らかになり、その友人を頂点とした三角形になっていることに氏の両親と共に呆然としたそうだ。
そして不思議な話はまだ続く。これも高校時代のことである。筆者も〝風〟さんや〝リーダー〟と同じ動物園の卒業だが、筆者の専攻は理系で(筆者はチューリップ組。彼らは文系、ひまわり組)彼らとは違っていたため当時はそれほど深い付き合いは無かったが、そのチューリップ組で筆者と仲のいい友人が、これも不幸なことに他界してしまうという話から始る。嘘のようだが本当のことである。
ある日、彼から物を作るのは楽しいのか?という妙に哲学的な質問をされたことがあった。彼は音楽を作るのが趣味で、バンドを組んでいるという話をよく聞いていたし、筆者が電気仕掛けの物を作るのが趣味だったので、それで聞いてきたのかと思い、面白くて時間を忘れるぐらいと答えた。そのとき友人は笑いながら、自分はいまスランプでいい曲が出来ないと言っていた。何の意味もないただの会話だと思っていたが、それから数ヵ月後、彼は自らの手で命を絶ってしまった。そのとき、よほど悩んでいたのらしく、もっと筆者にぶつけてくれればよかったのにと当時はかなり悔やんだ。
葬式の日、授業を半日で終了させクラス全員で彼の家に弔問に出かけた。阪急岡本駅から甲南大学の方へ向かった閑静な住宅街に彼の家はあった。
葬式はごく普通のものであり、何十人かの弔問客が入れ替わりお焼香をしていた。その弔問客の中に、なんと風林火山のドラムになる人物〝山本〟がいたのだ。友人の組んでいたバンドのメンバーだった〝山本〟が、バンド仲間の死を弔いに来ていのだ。
このとき〝山本〟との接触はこれで終わりだったが、まさか、こんな深い付き合いになるとは思いもよらなかったこの人物と、次に出会ったのは、なんと3年後の風林火山結成の前日であった・・・・。
おおぉ~ なにか冷たいものが走る。
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