過去の恥ずかしい記録をまとめました。

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-過去ログは古い順に並んでいます-

2008年1月1日(火)

あけましておめでとうごうざいます・・・

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 12月31日から1月1日に日付が変わっただけで、何も変わらないよ・・・。とは、偏屈親父の独り言だが、たしかに言えることは、世界中にあるカレンダーチップのカウンター回路がインクルメントしたという事実は曲げられない。

今年も早々に、おかしなことを書き出すことをお許しください・・・。 m(_ _)m


 31日から阪急電車に乗って実家に帰って来た。
 住んでいる所から実家までは電車で約30分。年末年始は呑み続けることになるのでクルマでは帰らない。それにクルマだと渋滞に巻き込まれ1時間近く掛かってしまう。なので、電車が便利。自宅には午後3時ごろに到着。早速ビールを呑み始める。ウォーミングアップのつもり。

 午後6時半。妹が帰宅。鍋を突付きながら、恒例の酒呑みマラソン大会の始まり。
 競技者は妹とカミさんとワタシの3人。ジャッジをするのは母親。

 これから試合終了まで、アルコール以外の水分を摂取することは許されない。試合終了は呑んでいるあいだに誰かが寝たら終わり。寝た者が敗者となる。
 ビールから始まり、日本酒、チューハイが空けられていく。
 テレビでは芸人さんが深夜にもかかわらず、海に潜って魚を探している。お仕事ご苦労さんです。
 午前2時。ドクターストップが掛かる寸前に試合は1ラウンド終了。第2ラウンド開始まで一時休止。本来ならここで初詣と称して酔い覚ましに近所の神社へ行くのだが、もうだめ。倒れこむように寝床へもぐりこむ。

 あけて正月。午前8時。

 昨夜、妹は第1ラウンド終了後に〝たこ焼き〟とビール2本を呑んだそうだ。ゲッ!こいつは強敵だ。あたしゃ、あれでダウンだった。死んだように寝てしまったというのに・・・。

 朝起きた瞬間から、有無を言わさずビールが出てくる。第2ラウンドの開始である。
 昼前には、ビールから日本酒へ・・・。
 負けてたまるか。(誰に?)

 午後1時30分。妹、リタイア寸前。
 「まだ決まってない(負けてない)」との強気な発言をしていたが、確かにペースダウンして来た。昨日の〝たこ焼き〟が効いているらしい。(へへへ)

 目の前に広がる料理(たいしたもんではありませんが・・・)と、マンネリ化はしているが楽しそうなテレビ番組を酒の肴に〝ぐびぐび〟。
 カミさんは得意のチューハイが空になった。氷がカラ~ンと音を立ててグラスの中で廻っている。
 そうか、この人もあなどれなかったんだ。というか、アルコール度数からいってこっちは不利だ。最初から弱い酒にしておけばよかった。でも、そうすると量を飲まなければいけないので、すぐにお腹がいっぱいなって料理が食べられない。・・・競技種目を選ぶのもたいへんである。
 途中、睡魔に襲われ意識もうろう。気が付いたら1時間も寝てしまっていた。

 〝カン、カン、カーン〟

 試合終了のゴングが鳴る。寝たら負けなんだ。
 ひぃ~・・・。
 敗者は、とぼとぼと阪急電車で家への帰途へつく。午後7時帰宅。約30時間の戦いは終わった。
 これがワタシのいつものお正月です。家族が健康(肝臓は大丈夫か?)で、何も変わらないお正月を迎えられたことに感謝。

 帰宅後すぐに、焼酎のお湯割りを1杯。やっぱり我が家はエエねぇ~。

 まだ呑むかぁ !  (^m^)ゞ




2008年1月4日(金)

エエ日の正月や~・・・

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 大阪はよい天気が続く穏やかなお正月が続いている。今日から仕事始めの方もおられるかもしれないが、こちらはまだのんびりと・・・でもないか・・・。
 仕事が始まる7日までは時間がたっぷりあるので、2日からここのネタを書き溜めしている。今日も朝5時ごろからパソコンに噛り付いている。

 ごくろうなこっちゃ・・・。  (^д^)ゞ

   〝初歩のPIC〟のページでは、回路図の描き方を更新しましたので興味のある方はご覧ください。このあと、ハードとソフトの話に入ってくるので説明がだんだんと難しくなってきます。これでまた自分の首を絞めるようなことになるんではないかと、内心ビクビクしているが、ここまできたらもうやめられない。

 あ、そうそう。明日は外付けハードディスクのユニットを買いに、例のヨドバシカメラへ行く予定。外部ハードディスクはすでに持っているが、これはバックアップデータのバックアップに使用するつもり。パソコンのクラッシュが相当堪えた。パソコンの換えはどうにでもなるが、データの換えは絶対に無い。なのでバックアップのバックアップをしようかという、ほとんど病気状態。というのはウソ。理由は別にある。ハードディスクはカードのポイントがかなり溜まっているので、おそらく一銭も払わず購入できる。ほんとは、正月ぐらい梅田に出て一杯ひっかけたいだけ。

  ウソ付け!

 酔っ払って買ったものを駅に忘れるなよ! ( ̄Д ̄;)




2008年1月5日(土)

大阪梅田でパヤパヤ~♪・・・

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 約束どおり外付けハードディスクを買いに大阪梅田に行ってきた。もちろん場所はここ。
ヨドバシカメラ正面
 約1ヶ月ぶりの入店である。

 ハードディスクは、320GBのやつを800円で買ってきた。(USB2のBUFFALO製)

 えぇ~! ウソ?

 別に「兄ぃ~ちゃん、え~のがおまっせ。」と駅裏に連れ込まれたのではない。正真正銘、ヨドバシカメラで、800円を払って、320GBのハードディスクを買ってきた。もひとつゆうと株主接待でもないよ。
 カードのポイントを使ったのだよ。  残念~でした。って、昨日書いてるじゃん!
 元をたどれば自分のお金。でもちょっと得した気分。(実際買えば12,800円でした)

 そのあとヨドバシカメラを出てから、面白い名前の店の前を通って・・・
むなしぃ?
 大阪はこんなところでもウケをねらってるもんなぁ~。さすが浪花だす。
〝めしや〟というのは〝お食事処〟という意味。大阪はこの〝めし〟と書いた看板が非常に目立つ。関西圏外から来た人が見ると必ず驚いて引くね。「何か、ガラ悪ぅ~」って。

 その〝めし屋〟の前を通ってここを過ぎて・・・
カッパ横丁
 「カッパ横丁へ、よ~こちょ (C)ABC」なんて、寒いことを呟きながら・・・
 一杯ひっかけに、いつものお店に入って、いつものこれをアテに吟醸酒を〝ぐびぃ~〟
居酒屋(川海老の唐揚・はちきん・鰹べっ甲寿司)
 あぁぁ。 正月やね~。
 歩いたコースと食べた料理の種類から、知っている人ならどこのお店に入ったかも分るのでは?

 で、買ったハードディスクの写真は?

 ・・・ 撮り忘れた。  ( ̄ェ ̄!)

 あほっ!





2008年1月10日(木)

〝あほ〟の使い方講座?・・・

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 このあいだ正月番組で大騒ぎをしている関西系の芸人さんが「お前は〝あほ〟の使い方がまちがっとる」と、関西圏外の芸人さんに向かって怒っていた。たしかにそうだ。関西人は〝あほ〟を使い分けているので、おかしな使い方をされると無性に腹が立つ。文字で書くと〝あほ〟か〝阿呆〟だが、いろんな〝あほ〟があるからね。

 まずはほんとうに馬鹿にした時の「阿呆かっ!」(真剣な眼つきで、かなりきつく言われるからすぐ分る)
ボケに対する突っ込みの「あほっ!」(軽く言われた時と強い時とでウケ度合いが分る)滑った時はほとんど相づち程度の「あほ」しか返ってこない。ちなみに関西人は必ずボケるので、何らか突っ込みを返すこと。それがだめならせめて、この相づち程度の「あほ」だけでも返してほしい。
 以前、出張で東京へ行った時の話。お得意さんに呑みに誘われたが、帰りの新幹線の時間が迫っていたので、「すんません。新幹線運転して帰らなあかんので、遠慮させてもらいます」 と言ったら、「あ、そうなの」 と無反応で終わられてしまった。そういう時は「今日は代行の新幹線を出しまっさかいに」 とか、「今日は検問やってまへんで(呑んだら乗るなですよ)」 ぐらいの返しが無ければ、関西人は即死状態でっせ。ボケたら〝突っ込む〟 これ約束ですよ。

まだまだあるよ。
女性が甘えた時の「あほぉ~ん」(たまらんね)
慰める時の「あほやなぁ~」(やさしくね)
量を表現する時の「アホほど獲れた」とか「アホほど集まっていた」の〝あほ〟。この場合は〝たくさん〟の意味になる。逆に「せっかく釣りに行ったのにアホでしたわ」と言われたら釣れなかったことになる。
叱る時の「アホなことやっとらんと仕事せい!」とか、(別に〝あほ〟なことはしてないはず)
など、書き出せばいくらでもあるね。

これを連発して使用されるとさらに難しくなる。

あほっ、そんなん言うてへんやん。アホやなぁ。あんなアホに聞くからあかんねん。そやから〝あほんだら〟って、言われるネん」

これを標準語に直すと、 「あなた(君)、そのようなことは言ってないよ。馬鹿だね。あんな人に聞くから、どうしようも無い人って言われるんだよ」 となるかな?
人によって解釈は変わるかもしれないけど、いいたいことは〝あなた〟〝馬鹿〟〝あんな人〟〝どうしようも無い人〟が全部〝あほ〟の一言で片付いてしまうということ。

 最後の〝あほんだら〟はだいぶ怒っているようす。もっと怒った時は〝あほんだら!ボケ、カス。しばき廻したろか〟とわけの分らない言葉が付いて来る。〝しばいた(叩いた)〟うえに〝廻される〟のだ。怖いね。

 関西人は瞬時にこの〝あほ〟を使い分ける。子供でさえ正しく使っている。なので間違った使われ方をすると無性に違和感を覚え、おもわず「ちゃうやろ!」 と叫びたくなる。それほど〝あほ〟という言葉は関西人にとって愛着のある言葉なんだ。逆に一番嫌うのが〝馬鹿〟という言葉。これを言われると〝あほ〟を100万回言われるよりも傷つく。

 この〝あほ〟という言葉には会話を和らげる効果があるが、さらにそれをまったく逆の意味で使うこともあるので要注意。
例えば、あなたが営業マンで、お得意さんの会社に訪問した時、そこの社長が「うちの社は〝あほ〟ばっかり集まってまんねん。どうしょうもおまへんわ」 といわれて、「それはお気の毒に」なんて答えたら、もう金輪際仕事は来ないよ。この場合は「ワシのとこは優秀な人材ばかりが揃っておるのだよチミ。」 と取ったほうが良い。

そういえば、このあいだうちの社長が「アホが一人おって困ってますねん」 と言っていたな。


 ワタシも優秀なんだね。

 ばぁ~か!  ( ̄ェ ̄;)







2008年1月16日(水)

1.17の前日ですが・・・

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 13年前の1月17日の昼ごろ。私は実家がある西宮へクルマを走らせていた。「お風呂の壁が崩れた」 と、妹から電話が入ったので会社を早退して向かっていた。
 幹線道路は未だ経験したことの無い大渋滞でまったく進まなかった。幸い何本もの裏道を知っていたので、速度は出せなかったが前へ進むことは出来た。西宮に近付くにつれ被害は大きくなり、市内に入ったところで目の前に広がる惨状に思わずクルマを止めてしまった。

 話は戻って前日1月16日。
 68000CPUのアセンブラに燃えたいた私は〝Windows〟システムに似たものをシャープのパソコンX68000で作ろうとして躍起になっていた。次の日は仕事だというのに、夜遅くまでキーボードを叩いていた。

1月17日、1時間前。
 明け方5時頃。のどが渇いたので水を飲みに起きた。ついでにトイレにも行き、再び暖かい布団に飛び込んだ。

1月17日。その時。
 突然の揺れ! いや、揺れというよりも衝撃だった。寝ている布団、その下にある床、すべて含めた空間にクルマが真横から追突したような衝撃だった。衝撃はすぐに回転運動に変わった。家全体がフライパンの上で豆を炒っているような状況になった。足元に設置してあるタンスと書棚が寝ている布団の上に覆いかぶさるように次々と倒れてきた。

 そして、瞬間の静けさ。

 やっと自分の感覚が戻ってきた時、目と耳から同時に情報が飛び込んできた。まだ暗い窓の外で何度も走る稲光の閃光、遠くから聞こえて来る人の叫び声。そしてすぐにあたりは真っ暗になった。街頭の光も何も無い。電灯類はすべて消えていた。続いて飛び込んできたのは電話の受話器から出ているらしき声。「ただいま大変混み合っています・・・。」 何度も何度も繰り返していた。頭の中が混乱していて訳が分らなかった。

地震がおきたら火を消しましょうって言うけど絶対にムリ、まず動けない。


 とりあえず、体にかぶさっている雑多なものを払いのけ、使ってもいない電話がなぜしゃべっているのか調べることにした。

 部屋は足の踏み場も無い状況。どんなに散らかしてもこうはならない、というほどの散らかりよう。本当に歩けなかった。部屋においてあった、ありとあらゆる物が倒れ、中身が飛び出して折り重なり、とてもじゃないが歩ける状態ではなかった。
 やっとの思いで声のする場所に近づいてみると、受話器が外れてとんでもないところに転がっているらしく、いろんな物が重なっている奥から声が聞こえていた。

 非常時の電話は発信音が止まって、あんなアナウンスをするんだな。と、思いながら受話器を探して本体に載せた。なんとなく落ち着きを取り戻して来たので、とりあえずカミさんと家の外へ。家の中には立つところがないので、とりあえず外に出た。

 すこし明るくなってきたところで電話が鳴り、風呂場の壁が崩れたと、実家の妹から連絡を受けた。我が家も亀裂が走ってはいたが、壁は無事だったので、あっちは運悪く崩れたのだろうと、その時は安易に考えていた。

 そして電話はこの後、無用の長物となった。

 すぐに電気が復旧しTVをつけてみると、何本もの煙が立ち上がっている空撮の映像が飛び込んできた。あぁ。火事になったところもあったのか・・・。あれだけ揺れたらな。と、まだ状況が呑みこめてない。自分がいる場所の被害と同じぐらいにしか考えていなかった。
 出社時間が迫ったので、家の後片付けはカミさんに任せて仕事場へ向かった。仕事場も同じような散らかり方で、足の踏み場が無い状態。仕事なんて出来ない状態だったので、先に来ていた社員たちはテレビを見ていた。
 徐々に情報が入って来ると、焦りだしてきた。実家の近くにある小学校に運び込まれる遺体のニュースだ。尋常な数ではない。いても立ってもいられなくなり実家に電話をしてみたが、もう繋がらなかった。

 会社を早退してとりあえず実家へ向かった。
そして西宮市内に入ったところで、目の前に広がる惨状に立ち尽くしてしまった。


 ほとんどの家屋は崩れており、ちゃんと建っていない。ビルもマンションも傾いていた。その真ん中に立つと自分がまっすぐ立っていないような異様な感覚になる。そして鼻をつくガスの匂い。「タバコ吸うな!」 の紙があちこちに貼られていて風に揺れていた。意外にも人影は少なくほとんどゴーストタウンのようだった。目の前の景色は記憶にある景色とはまったく異なっていた。早く実家へ・・・。

 道の両脇にある歩道はことごとく崩れており、派手にデコボコになっていて、もはや歩道とは呼べなかった。そして信号機は傾き、すべて暗く点灯していなかった。こんな光景は見たことも無い。
 道をふさぐ崩れたブロック塀。盛り上がって渡れなくなっている橋。瓦礫が道の中央部に倒れ、山のようになっている場所もたくさんあり、普通のクルマでの移動は困難だったが、当時四輪駆動車に乗っていたため、何とか走り抜けることは出来た。

 生まれて初めて警官の見ている前で一方通行を逆行した。
しかし彼は何も言わなかった。そうか、非常事態とはこういうものなんだと実感した。

 通常4~50分でたどり着く実家までの道のりを2時間近くかかって到着した。これでも早い方だった。幹線道路を走っていたらその日のうちに着かなかったかもしれない。

 実家をみて唖然とした。風呂場の壁はたしかに崩れていたが、そんな生易しいものではなかった。家全体が傾きすべての壁が崩れ、台所も便所も瓦礫の山になっていた。とても住める状態ではなかった。
 家族は幸い全員無事でテレビのニュースで見た小学校に避難していた。体育館には体操マットが引き詰められていて、避難した人がその上で震えている。その中に家族を見つけ、自分の家へ避難してもらうことに決めた。こちらの家もガス・水道は止まっていたが、電気は復旧していたので住むことはできる。これでひとまず安心。
 体育館を出ようとした時、マットが引かれていない冷たい床に座り込み、呆然としていたお婆さんがいるのに気づき、家族が座っていた場所を譲ったが、胸が引き裂かれるような思いだった。

 1.17の記憶はまだまだ続くが、長くなるのでここらで・・・。

 最後に・・・・・。

 積めるだけの家財道具と家族をクルマに乗せ、自宅に帰った時気がついた。満杯にしてあった風呂の水が三分の一以下になっていたことを・・・。
 風呂釜にヒビが入ったのではない。水が揺れて外にこぼれたんだ。私の住んでいる場所は震源地からかなり離れた兵庫県と大阪府の境だが、こんなに揺れたんだ。

この恐怖は決して忘れてはならないね。




 毎年、何かあると必ずお赤飯を作って配っていたオバさん。そしていつも気軽に挨拶をしてくれたオジさんももういません。でも私は決して忘れることはありません。

 黙祷。




2008年1月19日(土)

こんなでっかいのは初体験・・・

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 釣りを趣味にしている人に魚を頂いた。それも40センチはゆうに超えてる黒鯛だった。

 思わず、
 でっか~い! こんな、でかいモン、どーすんネン・・・。 だった。

でっかい、お魚さん
持っているのはタバコの箱だよ。

 カミさんは見た瞬間に尻込みしていて調理の方はリタイヤ。食べる方は挑戦するそうだ。
 一応、私も〝なんやかんや〟する方で、私専用の刺身包丁も持っている。普段、刺身はすべて短冊になっているモノを買ってきてもらって、私がその包丁で切って盛り付けしている。鯖やイカ程度のものなら丸ごとでも尻込みしないが、こんなでかい魚はさばいたことが無い。

 とりあえず包丁を入れる。

でっ、出たぁ~
 うげぇ~! 出てくるモノもでっかい・・・。

 以前は、刺身包丁とペアで出刃包丁も持っていたが、6年前の引越しのゴタゴタで無くしてしまった。しかたなく普通の家庭用の包丁で頭と胴を切り離し3枚におろしてみることに・・・。骨が太くて、こんなおもちゃの包丁ではきつい。やっぱ出刃包丁が欲しい。


何とか開きましたぁ~

 何とか開くことに成功。でも、包丁の刃が折れそう。写真で見るとホントにおもちゃの包丁のようでしょ。
 身の部分が短冊状になったら、あとはいつもと同じ。刺身包丁で〝スイスイ〟っと。

 とりあえず3枚におろして、尻尾から中骨と頭は煮付け用に。中心のきれいな身は刺身。周りの身は塩焼き。皮はさっと熱湯に通して〝松皮〟にして調理完了。

出来た~

 写真は刺身、約3~4人前。上の小鉢二つが〝鯛の松皮ポン酢あえ〟、右横の切り身は塩焼き用。
 とにかく1日では食べきれない量だったので、残った部分は塩焼きと煮付けにして明日いただく予定。

 美味しかったです。


 小さな包丁だったので、さばくのに苦労したけど結構ハマりましたね。次はマグロを1本調理してみたい気分。

 あのね。 台所に入らんって! d ( ̄ ・ ̄)ヾ(^o^; )


2008年1月20日(日)

昨日の続き・・・

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 昨日、食べ切れなかった部分を今日は塩焼きと煮つけで頂いた。

 刺身は黒鯛特有の臭みがあったので、噂どおりいまいちかな?という感想。やはり真鯛には勝てないね。でも、塩焼きと煮付けはかなり美味しくいただけました。

 ●●さん。どうもご馳走様でした。

記念に鯛の鯛を写したので飾っておきます。
鯛の鯛

 魚好きの人なら知っていると思うが、鯛の鯛というのは胸ビレの根元にある骨のことで、たいがいの魚なら必ず二対ある。鰯でも鯵でもカタチは少し異なるけど必ずあるよ。魚を食べたら一度確認してみよう。鯛の鯛の大きさでその魚の全体が想像できるので結構楽しい。私は必ず探している。鯛のモノが一番カタチが綺麗で、よくお寿司屋さんの〝のれん〟のデザインに使われている時があるよ。

 ところで・・・。

 鯵にあっても鯛の鯛って言うのかな? 鯵のアジって言うべきかな?
 秋刀魚のサンマって言わないとだめなの?
 チリメンジャコにもついてるのかな? 精密ピンセットでバラしてみようかな。

 また、寝れなくなりそうですな・・・。

 早よ寝ろ~! o(`ε´)o






2008年1月26日(土)

くだらんことですが・・・

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 このあいだ鯛の鯛の話を書いてから、いろんな魚のその部分が気になって食べるたびに探して写真に撮ってみた。

ホッケ  カレイ
左がホッケのホッケ。           右はカレイのカレイ

 体長はどちらも25センチぐらい。大きさの割りに小さいね。(白い棒はマッチ棒です)

 もう一度、このあいだの鯛の鯛を見てみると・・・。
鯛の鯛

 大きさは約5センチ。ホッケやカレイの体長の約1.8倍(45センチ)あるので、比率から行くと2.8センチは無いといけない。ホッケのホッケは、ほぼその通りだけど、カレイのカレイは小さ過ぎ。


 何をくだらないことを調べているんだか・・・。
 もっと仕事に活かせるようなことをしろよ。


 量産基板のデータを送った基板屋さんからは、見積もり金額と納期以外は何もいってこない。何かあればすぐに「データがおかしいんですけど」という電話が入る。ということはプリントパターンに関しては不具合は無かったみたいだ。回路的にはあれから何回もチェックしたので間違ったところは無いと思う。後は出来上がって来た基板に部品を載せて、実際に電源を入れて動かして見ないと分らない。
 こうなったら〝マナ板の上の鯉〟だ! 
 まさか先週、鯛を載せていたマナ板に自分が載るとは・・・。

 もうジタバタせんぞ! (-^〇^-)  あははは。




2008年1月29日(火)

悩みは尽きぬ・・・

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 「和やんのウダウダ話」というホームページの管理人さんが、〝イワシのイワシ〟を見てみたいとか見たくないとかの書き込みを頂いたので、昨日イワシの煮付けで探して見たが、崩れてしまっていて発見できなかった。残念でした。

 ・・・って、まだやってるんかいな。

 そう、凝り性の私は一度ハマルとなかなか抜け出せなくなる。
 電子機器関係にハマってしまい、抜け出せなくなってもう35年近くになるもんね。

 話は変わって。
 PICを使ったボードで取り込みデータを電源が切れても消えずにバックアップできないか?という問題。
 内蔵のデータEEPROMに書き込めば簡単に済むが、問題はそのデータが1日に6000~8000回以上変化するというんだ。
 電源はいつ切られるか分らないので、変化があるたびにEEPROMに新規のデータを書き込めばいいように思うが、EEPROMへの書き込み回数の保障値が100万~1000万回らしい。
 何やねん。この10倍の差は・・・。

 とりあえず100万回は可能だとして、一日約1万回の変化があったとすると、約100日でPICはご臨終になってしまう計算。3ヶ月ほどで故障していたら使い物にならんね。それにもうひとつ、PICはEEPROMに書き込むときに割り込みを止めなければいけないので、割り込み停止が許されないこのボードでは1000万回保障されていても、どちらにしてもこの案は〝ボツ〟だな。くそぉ~
 で、次に考えたのが、電源が切られたことを察知して、リセットが落ちる前にEEPROMにバックアップしてしまおうという方法。
 これなら100万回電源を切ったり入れたり繰り返すことが出来るはず。1日4回行ったとしても25万日でしょ。約684年は大丈夫となる。まぁあたしゃこの世にはいないな。
 これで行こうと思ったが、壁に当たった。PICの電源が切られるのを察知する部分はすでにブラウンアウトICが察知してリセットを落としてしまう。なのでバックアップしようとする時にはもうPICは停止している。大元の電源は30Vなので、こっちの変化を察知してリセットが落ちる前に片付ける方法を取らないとあかんな。
 となると、電源監視IC、MB3771でも使うか・・・?電源ユニット内の交流部分を利用して瞬断検知をする方法があるが、そんな改造はご法度。使えるのはPICに来ているDC5V電源と大元のDC30V電源のみ。

 やっぱりトランジスタと抵抗で誤魔化してみるかな?
 う~ん。なんかイヤや。もっと簡単に電源の切れる瞬間を検知する方法は無いものか・・・。

 また、寝られなくなっちゃいましたね。 ヽ(ー_ー )ノ~




2008年1月30日(水)

もう、ええちゅうねん・・・

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 もう、気になって気になって、魚を食べるたびに調べてしまう。凝り性な人間の悲しい性ですな。

さんま  アジ
サンマのサンマ              アジののアジ

飛び魚
飛び魚のとびうお

 サンマが大きさの割りに意外と小さい。逆に飛び魚は空を飛ぶだけのことはあって、胸ビレが異様に発達しているので大きくがっしりしているのがさすがですね。

 とりあえずこれで最後。もうやめます。

 ほんま、アホですわ・・・。 (^m^)ゞ






2008年1月31日(木)

あほやった・・・

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 目の前にヒントが落ちてました。

 5V電源のブラウンアウトICを利用すればエエねんやね。あほでしたね。
 (ブラウンアウトICというのは電源が設定電圧以下になった時に信号を出してCPUシステムにリセットを掛けるICのことです)

 まず、大元の30V電源を抵抗で分圧して5Vを作り、このICの電圧検知部に放り込むでしょ。そうすると電源が切られて30V電源が瞬低するとブラウンアウトICの出力が L になりますわな。その信号でPICに割り込みを掛けて、5V電圧が維持しているあいだに割り込み処理内でEEPROMに書き込めば何とかなるんでは? 

 まだブラウンアウトICを30Vには接続していないが、5V電源に接続した状態でちょこっと検証してみた。

 電源を切り、5V電源が瞬低してブラウンアウトICの出力がLになってから、その5V電源が2.5Vになるまでの時間をロジアナで計ってみたら約280mS(0.28秒)あった。30Vに接続すればもっと時間に余裕が出てくると思う。

 〝思う〟とか〝はず〟とか連発して書いているのは、まだ時間が無くてまともにテストしていないので自信が無いから。でも200mSでも時間があれば、データをEEPROMに書き込めるはず。割り込みが掛かった時点から後は電源が落ちるのを待つだけなので、EEPROMへの書き込みが終わったら何もせずに静かに時が来るのを待てばいいだけじゃんね。スリープモードにしてPICを眠らせてしまえばいいんでは?

 何か間違ってるかな? また恥ずかしいことを書き込んでるのかも・・・。


 ご期待あれ!  o(^∇^)o