そして、そして・・・?

(掲載当時は2005年です) 戻る  次へ

 『ところで、ゲームの話はいつ出てくるの?』
  これからです。

しばらくはTK80/BSを利用したマシン語のプログラムを書いていましたが、よくみると自分の周りにTK80と同じCPUが載ったゲームボードがたくさんあるに気がつきました。
 『なんで?』
実は家業がゲーム機の販売/貸し出しをしていたからです。学校を卒業後、手伝っていました。
 『そしたら、家にゲーム機がいっぱいあるわけやね』
ありました。ゲームセンターにある最新のゲームが、お金を入れずに死ぬほど遊べました。
 『いいなぁ~』
お金を入れないで遊ぶとすぐ飽きますよ。
 『飽きてもいい~。遊びたいぃぃぃ~』
 ……………………・。

ハードを作るにしても、部品を買いにパーツショップへ出かけなくても家の中にごろごろしていました。ゲーム業界にいるというだけで、自分の環境が”もの”作りに恵まれていることにあらためて気付いたのです。
 『気ぃ~つくのおそいよ!』
特に当時流行っていたタイトーのインベーダーゲームのシステムはTK80とよく似た仕様でしたのでインベーダーのプログラムROMを消して、自分で作ったプログラムをROMに焼いて走らせることが可能でした。
 『ROMを消すって?』
ROMというのは、ICにプログラムデータを特殊な機械で書き込むことができるもので、電気が切れても書き込まれた内容は消えません。

そして、そのICには小さな丸いガラスの窓が付いていて、そこから強い紫外線をあてると中の記憶を消すことができました。いまでいうCD-RWのようなもので、何度も消して使うことができました。

8080CPUとZ80の写真の下に2708というROMが写っていますが、あれと同じものがインベーダーには6個使用されていました。


 初めて作ったオリジナルゲームの内容は、ブロック崩しゲームのパドルの代りにインベーダゲームの砲台をプレーヤが左右に動かし、ミサイルを発射してボールに当て、反射したボールでブロックを崩していくという単純なものでした。
 『聞いただけでも、つまらなさそう~』
 タイトーのインベーダ基板(通称3枚基板)をマザーボードとして作った最初のゲームプログラムの容量は6Kバイト、サウンドはインベーダーのサウンドをそのまま使用したものでした。





タイトーのインベーダー基板
(筆者撮影)

CPUは8080AでTK80と同じです。プログラムエリアはそのままで12Kバイトまで載りました。 VRAMはビットマップ方式で1バイトのデータがそのままモノクロで描画される方式です。インベーダーのキャラクタがROMエリアに書いてあり、そのデーターをそのままCPUのプログラム転送で表示させていました。サウンドは使用している音をアナログで作成し、発音タイミングをプログラムで作る簡単なものです。
写真は重なっている上から、サウンド・I/Oボード、CPUボード、ROMボードの順です。




 なぜ、マザーボードにこの基板を選んだのかといいますと、単純に手元にたくさんあったのとCPUが8080Aだった、というだけのことです。
 『なんじゃ、それ』
 このときは、まだICE(アイス)デバッガーも何も無く、ひたすらプログラムを書いては自作のROMライターでプログラムを焼いて、バグがあれば訂正してまた焼いて、の繰り返しでした。

 それでも、初めてのオリジナルゲームは完成しました。心躍らせて、ゲーム機をリースしていた店の人に「新製品です」と偽って設置してみました。
 『わるいやっちゃなぁ』
 新製品には違いないでしょ。ただ、メーカー製ではないだけで、ちゃんとお金を入れて遊べる業務用のゲームですよ。
 『まぁ、ヒットすれば小銭がザクザクちゅうわけやね』
 『ほんで、ヒットしたん?』

………………・・。
 だめでした。操作が難しすぎたのか、誰も遊んでくれませんでした。
 『きゃははははは。そう簡単に金持ちになれまっかいな!』


 『で、誰も遊んでくれなかった原因はなんなの?』
砲台の動きが、ボールにスムーズに付いて行けないのが理由でした。

プレーヤが操作する砲台の動きを早くすると、細かい動きができなくなるんです。速く動かしたいときには速く、ゆっくり動かしたいときにはゆっくり動く、というマン・マシンインターフェースがうまく行っていない典型的な失敗作でした。



 それから半年後の1981年6月には次のゲームが完成しました。
 『懲りんやっちゃなぁ……』

タイトルは「妖怪転生」と決めました。当時「魔界転生」という映画が流行っていましたので、すこし参考にさせてもらいました。
 『何が参考よ! ほとんどパクリじゃんか!』
キャラクターがまったく貧弱ですので、だれもパクリとは思いませんし、内容もビルの中に散らばっているエイリアンをエレベータに乗って移動しながらレーザービームを撃って、すべて退治すると1面クリアになるというものです。

プレーヤの移動は左右方向のみで、エレベータに乗りこみ次の階まで上または下に移動できます。ただし上へ行くか下へ行くかは到着したエレベータの行き先まかせになっています。

プログラム容量=10Kバイト サウンド=インベーダゲームと同じ。

 『まぁ、ゲームらしくはなってるね』
とりあえず、このゲームでリアルタイムに動くプログラムの基本的な考えはまとまってきました。

 『リアルタイムに動くプログラムって? 具体的にどういうこと?』
ゲームのプログラムは時間とともに変化しますし、プレーヤの操作でも変化します。ようするに常に変化するということです。

さらにパソコンゲームと違ってアーケードゲームにはお金の投入管理というのがあるんです。これは、いかなる処理を実行中でもお金が投入されたら、それを認識しなければいけないんです。

よくあるでしょ。「お~い。お金を入れたのに動かないぞッ!」ていうクレーム。
 『ある、ある。怒ってゲームを叩いたりする人いるもんね』
 垂直同期期間にお金の通過を調べる仕組みなんですが、その間にプレーヤを動かしたり、エイリアンを動かしたり、たいへん多くの処理が高速に実行されています。
 『また、難しい話になってきたぞ…………』

その後、調子にのっていろいろ作りました。とりあえず表にしてみます。



完成日タイトルROM内容
1980年12月ブロックベーダ―6KB ブロック崩しとインベーダを合体したようなゲーム。その後、登場した『アルカノイド』の足下にも及ばない駄作となる。

完成日タイトルROM内容
1981年6月妖怪転生10KB ビルの中に散らばるエイリアンを銃で破壊していくゲーム。プレーヤーは左右にしかコントロールできないが、いくつかあるエレベータに乗ってフロアーの移動は可能。
ただし上の階へ行くか下の階へ行くかはエレベータまかせ。
エイリアンにつかまると死亡。

完成日タイトルROM内容
1981年10月Help Man8KB 蛇に追いかけられるて逃げまわっている人間を助けるためにピストルを打ってへびを退治するゲーム。
ピストルはレバーで左右に動く。蛇は胴体を撃たれるとそこから二つに分裂して数が増えてしまう。
頭を撃つと死んで消滅する。蛇が人間に当るとプレーヤの負けというゲーム。
逃げ惑う人間のキャラクタはランダムに画面の中を右往左往している。それをくねくねと蛇が追いかけるというもの。
蛇の構成は数10のブロック型のキャラクタが一列に並んでいて、1個前と同じ軌跡を通るように動かす事で蛇の動きを表現した。

完成日タイトルROM内容
   1982年 てく
てく
14KB プレーヤを上下左右に動かしながら、迷路を上から見たゲームエリアの通路に落ちている白い点(ドット)をすべて消すと一面クリア。
邪魔をする小さなお化けが、通路に点在しており、これに接触するとプレーヤの負けになる。ある程度の時間が経つと、大きな白い足跡が転々と追いかけてくる。それに接触するとアウト。
できあがって見ると、パックマンの変形版みたいだが、正直言って全然面白くなかった。

完成日タイトルROM内容
   1982年 ALIAN14KB 迷路を上から見たようなゲームエリアの中で、宇宙船を操縦しながらエイリアンをすべて破壊していくゲーム。エイリアンや迷路の壁に当ると、自爆してプレーやの負けになる。
宇宙船は常に下から上に一定の速度で動くので、迷路がTの字に分かれる場所に近づくと、とっさの判断で右か左かを決めないとそのまま天井の壁に宇宙船が接触して負けになる。
迷路が複雑に入り組んでいて狭いところなども有り、一部の人にはその難しさが受けて結構面白がっていたのが救われる。このゲームも画像はモノクロで、1プレーヤ専用である。

当時のアーケードゲーム機はすでにカラー化されていて、たくさんのキャラクターがスムーズに動いていました。

それに比べてこのタイトーのボードはクセがあり、1アドレスに対して縦に8ドットのVRAM構成で、キャラクタを8×8ドットで作成すると、1つのキャラクターを表示をするために8つのアドレスにデータを転送する必要がありました。

さらにそれを上下移動させるときは、2つのアドレスにまたがって操作しなければならず、1ビットずつシフト演算させるという、かなり時間のかかる処理が必要で、多くのキャラクタのスムーズな移動は不可能でした。
 『話が難しすぎて、何言ってるか、さっぱりわからないよぉ…………』


 サウンドはハードエフェクトでしたので、同じ音しか出なくオリジナルの音を出すためには、基板上のコンデンサや抵抗の容量を変えたりするしか方法がありませんでした。当時はハードに余り詳しくなかったために、面白い音を作ることができず限界を感じてきていました。
 『早い話が、このボードでは限界が来たということね』