やっと、スタートライン

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当時のパソコンもカラー表示はできましたが、8色しか出ない上にカラーモニターが高価でしたので、白黒表示で作業をしていました。しかし、ゲーム機は8色以外の中間色なども表示可能で、かなり高度になっていました。

下はCPUにZ80を使用したギャラクシアンというゲーム基板です。



【ギャラクシアン】
(筆者撮影)



2枚目の写真は独自の路線で数々のヒット作を出した任天堂のゲーム基板です。



【任天堂ゲーム基板】
(筆者撮影)

写真はあの家庭用ゲーム機、初代ファミコンの中身を2台分くっ付けて業務用に化粧直しされた”VS基板”と呼ばれるものです。1枚の基板に2台分の内容を盛り込んで2台のモニターに写していました。対戦ゲーム機の初めての登場です。
 『へぇ~。よくゲームセンターにあるゲーム機が背中どうしでくっつけてあって、二人同時に遊べるやつ?』
まっ、そんなところですか・・・。

いまのようにシリアル通信で2台のゲーム機を動かす対戦方式ではなく、2台分の内容を1枚の基板に載せてあるという感じです。中身のゲームプログラムを入れ換えると1台で2台分稼げるという機械でした。

しかし、よく知ってますね。ゲームセンターマニアですか?
 『ま、ねぇ~』




(筆者撮影)


NAMCO 【パックマン】ボード(表)    NAMCO 【パックマン】ボード(裏)

数多くのゲーム基板が出回っている中で、手ごろに入手可能だったNAMCO社のパックマンというゲーム基板をマザーボードに決めました。
 『へぇ~。これがパックマンの基板? よくわかんないけど、なんかすごそう』


 『メーカー製のボードを勝手にいじっていいの?』
 その件に関しましてはよくわかりません。ただ、作ったゲームを販売していたわけではなく、プログラムの勉強のために手ごろな基板をいじっていたわけですので、趣味の段階ということで許されるのではないでしょうか。

作ったゲームも完成度は低く、とても商品化されるような高度なものではありません。現にどのユーザからも見向きもされませんでしたから。
 『でっ、しょうね。』
うっさい!!このころのノウハウはその後プロの道への後押しをしてくれるんです。
ただし、さんざんバカにしていた子供たちの前にオリジナルのマザーボードに載ったゲーム機でデビューできたのは、これから4~5年も先のことですが。
 『だぁ~。気の長い話ぃ・・・。』


【パックマン】全体
(筆者撮影)



↑CPUボード        ↑キャラクターボード

・ボードを開いた状態の写真です。2枚のボードがフラットケーブルでつながっています。
・左側がプログラム関係とプレーヤーのレバー操作を読み取る回路がおもに並んでいるCPUボードで、右側がキャラクターの表示関係と音の回路に分かれています。
・黒く見えるのがIC類で灰色ぽい色で四角く白いものが付いているのがROMです。
・CPUボードでいちばん大きいICがZ80CPUです。写真の上の方に見えています。
・その下、2716というROMが8個並んでいます。1個2Kバイトの容量があります。
・キャラクターボードにある4個のROMがゲームに登場するキャラクターたちのデータが詰まっています。2732という、4Kバイトの容量のROMを4個使っています。





 話はパックマンに戻ります。
ハードウエアを解析してみますと、この基板はCPUがZ80、ROMエリアが、無改造で16Kバイト(0x0000~0x3FFF番地)RAMは2Kバイトあり、改造すればRAMエリア含めて48Kバイト(0~0xBFFF)まで広げられました。

 さらに一番うれしかったのは、キャラクター専用のVRAMと背景画面(ゲームエリア)のVRAMの2画面構成だったことです。当時のパソコンで2画面構成の機種はほとんど皆無で、超高級機種にあることはあったのですが、とても手の出る代物ではありませんでした。

 ここでもゲーム機が自分にとって、いかに恵まれた環境にしてくれていたかがよくわかります。
 『・・・ど~だか?』
 気になる言い方をしますね。ホント恵まれてましたよ。無料ですから。
 『タダでゲームができたのは認めます。すこしうらやましいです。』

 背景画面とキャラクターの画面が分離していると重なりによる立体感も出ますし、キャラクターを移動させても重なり合った画面の再描画をしなくてもいいという利点もあります。

 そのキャラクター専用エリアは、ダイナミックキャラクター(現在のスプライト画面のこと)方式になっており、16×16のドット(画面を構成する最小の点)で、ひとつのキャラクターを構成しています。そしてこれらは画面を縦横256×256に区切った位置に表示できました。

 場所を指定する方法はとても簡単で、位置を記憶するメモリーエリアに縦と横の0~255までの数値を書き込むだけです。
 書き込んだ瞬間にその場所にそのキャラクターが表示されます。キャラクターを横に移動させたければ、横方向の位置メモリの数値を1ずつ加算していくだけで、スムーズに横へ移動していきます。移動するスピードも加算する回数や数値を調整すればいいだけです。現代のパソコンでいうとマウスの動きのような感じになります。
 『もう、わからん・・・。好きに喋って!』

 インベーダのボードのように、プログラムで1ドットずつキャラクターを書き込むのとは異なり、これらはハードウエアがやってくれますのでCPUの負担が激減します。この方式は画期的で、いまでも使われています。

 パックマンのボードではダイナミック(スプライト)キャラクターは6個までしか表示できませんでしたが、ゲームの作成が飛躍的に楽になったのは間違いありません。
 『ふんふん・・・・・・って、よう、わからん・・・。』
 さらに、プログラムでは色の変更はできませんでしたが(ルックアップパレットがROM化されているためです)完全にカラー化されたボードでした。

 サウンドは数種類の音色を256の周波数に変化が可能で、音色自体はデジタルな矩形波の音ではなくアナログ的なきれいな音でした。この時代にこんなにもきれいな音を出すことができたのはNAMCO社の特色ではないでしょうか。

 『もうっ! 矩形波って何?!』
 何怒ってるんですか?
 『言っていることの10パーセントもわからないの! 矩形波って、何?!』

 ご、ごめんなさい・・・。

 矩形波っていうのは、音の波形が海の波のような曲線を帯びた波形ではなく、カドのある角ばった四角い波形のことです。なんとなく突き刺すようなキツイ感じの音になります。柔らく、自然に感じるのは海の波のような正弦波の方ですが、三角波になるとまたちょっと違います。
 『三角でも四角でも、ど~でもイイわ! ようは、柔らかい音に聞こえるんでしょ。』
 いや、三角波も聞いた感じは柔らかく聞こえ・・・・・・。すみません。そんな感じです。

 このサウンドが3チャンネルも出力できましたので、音楽専用に2チャンネル割り当てて和音を出すこともできました。

 さらに効率のいい開発をするために、スイッチの切り換えでパックマンボード上のCPUがPC8001のRAMエリアを読み取れるような回路を作りPC8001の外部バスに直結しました。

 PC8001からみると自分のRAMエリア内のプログラムで、パックマンボードのCPUが走っていることになるために、PC8001でプログラムの変更が簡単にでき、今までのようなROMへの書きこみと消去の繰り返しから開放されました。
 『画期的じゃん! 特許よ! 特許取るのよ。』

 たしかにこの方法だと、PC8001にプログラムを書きこんで、スイッチを切り換えるだけで動きますので、作業が楽になるという意味では、大変重宝しましたが、パックマン側のCPUがプログラムを読むときに、いちいちPC8001にバス開放を要求して、バスが開放されてから1バイト読み込むという、たいへん効率の悪いバス転送をしてました。

 『何よ、バスって!もっとやさしく説明してよ。市バスのこと?市バスなら毎日乗ってるよ。』
 あ、いい感じです。市バスのようにおなじ路線を何台もの乗り物が通るように、おなじ種類の信号が何本も通る路線みたいなもんです。

 『う~ん。 わかったような、わからないような・・・。』

 早い話が、二つのCPUが同時にひとつの通路を使うことはできませんので、交互に連絡を取りながら信号を流します。ですので非常に効率が悪く速度が低下します。
 『早い話が、電車と踏み切りのようなもの?。電車が通るときはクルマが通れないでしょ。』
 ま、少し違いますけど・・・。
 『どう違うの?』
 踏み切りの場合は電車が通るときだけ強制的にクルマの流れを止めて電車を優先しますが、この場合をたとえると、クルマが通りたいときにも電車を止めてしまうという感じです。
 『なるほど、効率が悪そうだワ。特許はむりか・・・。』

 この効率の悪さが影響して、パックマン側の動きがとても遅くなっていました。当時は画期的と思っていましたが、あまりの速度の低下で、すぐに別の方法を取らざる得なくなりました。

 『それで?』
 これ以上、いいアイデアが浮かびませんでしたので、雑誌の広告に載っていたパティエンジニアというメーカーのROMエミュレータを使うことにしました。

 これはICEの安価版のようなんもので、PC8001につないだ外部メモリーをパックマンボードのROMソケットに差し込んで走らせます。パックマンボードから見ればROMが差し込んであるのとまったく同じで、またPC8001からはプログラムを外部メモリーへ転送するだけで構造はいたって簡単でした。先ほどのバス直結方式と比べて回路も簡単なのに、なぜここに気が付かなかったのでしようか。
 『そぉ、そぉ。それがあんたの悲しいとこ。』
 ・・・・・・・。

 まあ、これでようやくターゲットボ-ドのバージョンアップと、開発環境がほんの少し改善されたということです。
 『早い話が、やっとスタートラインに立ったということ。』
 ・・・・・・・。
 時代は1983年。パソコンを始めてから4~5年も経っていました。